ocr-generated さき
尾崎橋
上流に向って左側の台地が尾崎と呼ばれています。「おさ
き」とは、突き出した台地の先端(小崎)を指す古い地名で、
発掘された石器や土器また住居址からみて、この台地には
約八千年前から人が住んでいたことが知られます。またこ
の地名に付会して「源頼義が奥州征伐のため当地を通過し
た際、源氏の白幡のような瑞雲があらわれ、これが因縁で
大宮八幡宮を勧請することになったが、その白幡の見えた
あたりを白幡(この付近)、尾のあたりを尾崎と名付けた」
(大宮八幡宮縁起)との伝説があります。
このあたりの風景は、五日市街道を通って小金井の桜見
物に出かけた江戸の文人たちの随筆にも書かれており、辻
知篤の享和三年(一八〇三)の文には次の様に記されていま
す。
「馬橋村のなかばより左におれて、山畑のかたへのほそき
道をゆく。」「つづらおりめいたる坂をくだりて田面の畔を
ゆく。田の中に小河ありて橋をわたる。これを尾崎橋とい
う。」
平成 九年三月
杉並区教育委員会