ocr-generated ほう
こ
公方の城 古河城
ご
ざ
しょ
の
にっこう しゃ さん
おとまりじろ
い
あしかが しげうじ
古河城は、古河公方の御座所であった中世、そして、将軍家の日光社参における御泊城となった近世というように、
歴史上、公方様の城というべき特殊な性格を帯びた存在であった。
殊に、室町時代の古河城は、政治・軍事面の重要性から、鎌倉公方の北関東における拠点と位置付けられており、
十五世紀半ばになると、「享徳の乱」を契機に、鎌倉から古河へ移座した足利成氏の居城として整備されていく。そして、
初代成氏以降、古河城は、古河公方足利氏の五代「40年にわたる根城として、波乱に富む関東戦国史に欠く
ことのできない存在となる。
江戸期以降は、幕府大老の土井利勝、堀田正俊を筆頭に、閣老級の譜代大名たちが城主となり、近世城郭と
しての整備が進められ、南北一八OOM、東西五五〇という関東有数の巨大城郭に変貌した。
た
まさとし
明治六年の廃城令と同四三年に開始された渡良瀬川改修工事によって終焉を迎えた古河城であるが、現在も
出城跡(歴史博物館)や獅子ヶ崎に土塁や水堀などを含む遺構を確認することができる。