ocr-generated 有町の由来
その昔、元和の五年(一六九年)に奥平忠の古河
城主として移封された時代のことです。
忠喜公は、お城の増築や武家屋敷の拡大だめと
町家の大移動をはかり心部に新しいまちづくりを行いました。
後の大工町やや丁目、石町、江戸町等はその時に
名付けられたものです。
時代に河城下を通過する諸大名は使者を派遣し
挨拶をしにお参りました。古河藩ろは役か出向いて歓迎の
接待をしたものです。その役所のどつに使者取次所があり、
別名を御馳走番所と言いました現在氷銀の在る処がそれで
今の中央町二丁己麻原薬局角から中央町三丁目坂長本店の間、
道中三間半長さ二十三間五尺の通りは、「有町」と呼ばれ
るようになりました。
以来この肴町通りは古河城裏木戸を経て城内に、
お米やお茶お酒をはじめその他の食糧品を供
約し、城内との交流の道として栄えて参りました。
今日、食糧品を扱う大きな花の構える通りと。
なっているのもその縁でありましょうか。
歴史の重さがしのばれます。
「有の会