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ocr-generated 寺山城と城主高橋氏

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2019-06-22

タグ: ocr-generated 広島県 大崎上島町

案内板

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ocr-generated 寺山城と城主高橋氏
, 南北朝時代(一三三二~一三九一)伊予国高橋寺(現今治市高橋町) より子の馬を
北上、大崎上島に進出して来た高橋氏は在地土の田尾氏に交って大崎中庄を支配し、
寺山城を快点として居を田尾氏が居住していた田尾谷にいたものと思われる。
の道に大な,す山城とあり、大谷城とは急場の南校が大谷に面する現在の南
城山のことであろうか。(いずれを本城としたか不明)
高橋氏は寺山城を快に島の土本として水軍城の構索を進め、背後に備えて南城山
に制城をき、北辺の海の守りに出城の丸山岩を配し、柳瀬戸に面する向山島には
見張り所、のろし台をねた砦をき、警国船は南側の入江をね海(現在の2層池付
近)として水軍城の続構えを作りあげたものと思われる。(現在の地名と遺構より推定)
「室町時代に至り田小早川氏の島嶼部の進出に伴い、被官しその支配体制の中で
中庄の公文として現地の枕治に当っていた「文明一二年(一四八o) の小早川支配状に
よる」大崎上島で最初に高橋氏の名が見られるのは明石中山八幡神社の応永三三年
(一四二六)の棟札に「大願主高橋左京助大宅光量」とある、これが最古のものである。
高橋氏の水軍力や財力が小早川氏から高く評価されていたことは、支配状や参陣者
の氏名から伺い知ることができる。戦国期乱の世には小早川水軍の将、忠海城主
浦勝に従い「大崎木」と呼ばれて数々の合戦に参陣している。(小早川文書より抜枠】
〇応仁の乱(応仁二年(一六八)北小路今出川合戦で高橋幼解由左衛門討ち死に
とある。
og田真良合戦(文明七年,一四七五)被官人等参陣者氏名の中に高橋弥三郎の名
が見られる.
・厳島合戦(弘治元年(一五五五)毛利氏と周防国内氏との合戦。
「大好沖ての毛利元就救援の戦功により小早川隆景より感状を授かる。
〇石山本順寺合戦(元亀元年~天正八年,一五七〇~一五八o)城の兵士、門徒に
毛利氏と安芸門徒が、村上水軍の護衛のもとに救援物資を送り込んだ際、木津川
口横田軍と合戦し大勝、二度目は敗戦。
大崎衆の一
呼び名の根拠
天正三年(一五七五)正月除日
付の小早川隆景が浦宗勝に免た
書状の中に「大崎來が早く備中へ
のぼってくるように早船をもって
仰せられるべく」とある。
-@高橋氏のその後についての確
たる資料はないが、天正一六年
(一五八八)の豊臣秀吉の海賊行為
禁止令後、丹に下り土者したもの
と思われる
巷間の伝承では長百姓または
里域を務めたとも言われている。
平成二十七年(二〇一五)三月
大崎上島町教育委員会

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2019-08-13 17:30 (0)
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