ocr-generated 日光道中
日光道中は、日本橋を起点に日光を終点とする江戸時代の
五街道の一つである。日光街道ともいう。地元では、周辺の古
い地名「小塚原(こつかっぱら)」の略称を冠して「コツ通り」
と呼ばれている。
寛永元年(一六ニ四)、幕府により整備が始められ、全国的
な主要幹線として多くの人馬が行き交った。区内では、現在
の洞橋交差点から千住大橋までの道筋がこれに相当する。江
戸の入口にあたり、日光道中の初宿である千住宿(下宿)が置
かれた。
明治六年(一八七三)からは国道陸羽街道と称し、主要幹線
として機能したが、昭和二十七年(一九五ニ)の新道路法の施
行により、特例都道第464号言問橋南千住線となった。
なお、昭和三十七年以来、日光街道の名称は、国道四号線の
宇都宮以南の東京都通称道路名として使われている。
荒川区教育委員会