劇聖玉城朝薫生誕三百年記念
玉城朝薫 は1684年8月2日、首里儀保に生れ1734年1月26日に50歳で没した。
玉城間切 総地頭 、かつ 琉球王府 のあまたの要職に行政官として手腕を発揮したが、かたわら、音楽、舞踊、和流の文学に秀で、1719年、 尚敬王 の冊封にあたって、冊封使歓待のための踊奉行に任じられたと琉球史上はじめて独自の楽劇・ 組踊 を創作し、「執心鐘入」「二童敵討」を上演した。他に「銘苅子」「女物狂」「孝行の巻」をあわせて、組踊五番を残し、今日劇聖とよばれる。
沖縄の民族文化の未来のために、その功を顕彰すべく生誕三百年を記念し「執心鐘入」ゆかりの地を朴して、この碑を建てる。
1985年3月
玉城朝薫生誕三百年記念事業会
会長 大城立裕
デザイン 岸本一夫
彫刻 西村貞雄
題字 豊平峰