Monumento

ocr-generated 越谷市指定有形文化財歴史資料

kawa_sanpo

2015/05/17

タグ: ocr-generated 埼玉県 越谷市

案内板

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ocr-generated 越谷市指定有形文化財歴史資料
窮民救済の碑
てんほう
いなかそうす
奉うみんにゃっきい
ふくとみちょう
いおたくと
えもん
おかしつけしま
平成六年三月三十日指定
この石碑は、天保九年(一八三八)一月、瓦曽根観音堂敷地に
稲垣宗輔らが建立した窮民救済の碑である。
稲垣宗輔は、浅草福富町の豪商稲垣氏・池田屋市兵衛方に婿養
子に入った、瓦曽根村名主中村彦左衛門重梁の次男である。
「天保五年から七年(一八三四~三六)にかけては、全国的な大
冷害により関東地方なども大凶作となり飢餓に瀕した人々が数多
く、各地で穀物商などを襲って食糧を奪い取る打ちこわし騒動が
頻発していた。
この碑努を要約すると、中村彦左衛門は代官久保田十左衛門支
配のとき、凶年手当用として御貸付所(幕府の銀行)に預金して
いたが、天明年間の凶作年には、御貸付金の元利金を下ろして
民に与え、飢餓より救った。
重梁は、その子らにも凶年手当金を備えておくよう遺言して没
したが、稲垣家に養子に入った宗輔はこれを受け、文政九年(一
八二六)浅草猿屋町会所御貸付所(当時勘定奉行遠山景元)に凶
年手当金として百両を預金し、天保七年(一八三六)の大凶作に
はそこから金九二両を下ろし、瓦曽根村の窮民九二名宛に金一両
づつ施金してこれを救った、との旨が記されている。
また、銘文と歌は、宗輔とは弥従兄弟にあたる恩間村の漢学者
兼国学者渡辺荒陽(玉斎)によるものである。
ゆいごん
ぶんせい
おんしょうぶきようとおやまかけもと
さるやちょうかいし
平成六年 越谷市教育委員会
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