ocr-generated 南側用水路の由来。
南側用水路は、江戸時代初期の万治3年(1660年)、
利根川筋・本川俣村に葛西用水の取水口が作
られた際に、その支流として当時の幸手領南
側一帯(幸手市から杉戸町を経て春日部市まで)
に農業用水を供給するために設けられました。
杉戸町を9.5kmに渡り流れる南側用水路は、
大切な農業用水路としての役割を果たすとと
もに、清らかな水に魚が泳ぎ、沿線の人々の
生活に深く係わりながら、身近な水辺として
親しまれてきました。
しかしながら、農業用水のパイプライン化
により、昭和63年3月に300年あまりに渡る用。
「水路としての役割を終えました。
3. 南側用水路の跡地は杉戸町の貴重な都怖空
一間であり、町民共通の財産でもあります。
この遊歩道は、貴康な南側屈水路の跡地を
町民の皆さんにより親しんで頂けるように、
遊歩道として整備したものです。。
和60年頃のようす
平成の在り戸
完畿のようす