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ocr-generated ここは 上原自治会

kawa_sanpo

2015/10/10

タグ: ocr-generated 静岡県 静岡市

案内板

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ocr-generated ここは 上原自治会
管理のごみ置場です。
ルールを守りましょう!
ルールを守り上原自治会・静岡市
猫やカラスが
きます。
夜は
上原延命子安地藏尊由来略記
上原延命子安地蔵尊は、古来世の人々の、長寿、安産、子育、安全の
守護として、近隣の人々の信仰を集めて来た。創建時代は明らかではな
いが、焼失した木様の御本尊は、行基菩薩作との伝説があった。
えに従えば奈良時代となる。然し庶民一般に地蔵信仰が普及し、各地に
地蔵堂が建立されるようになったのは、鎌倉時代とされている。
上原の古地名は地蔵原ともいわれていたが、室町時代後期には既に正
式に上原の地名が用いられている。これ等の事を思い合せれば、創建は
鎌倉時代或はそれ以前と考えられる。
「永録十一年十二月(一五六八)武田信玄が、駿府の今川氏真を攻める
時、本隊の部将、山県昌景の部隊がこの地蔵堂を中心とする、上原の地
に宿営布陣した記録がある。
次いで天正十年二月(一五八二)徳川家康が、武田勝頼を攻めるに先
立ち、武田の宿将江城の城主穴山梅雪と、この地蔵堂で会見した。その
結果梅雪は家康に降り、武田氏滅亡の切掛となった。
「元和元年大坂夏の陣の直後 秋十月(一六五)吉川福聚院の住職明眼
和尚の尽力と、付近住民の協力により、荒廃していた地蔵堂も立派な受
字として再建された。
然しこの堂も明治二十四年九月(一八九一)、何者かの失火により、
御本尊と共に焼失した。以来地蔵堂は、間ロー、ニチ、奥行一、八味程
の仮堂で、四十一年間を過ごすことになっなのである。
昭和七年四月(一九三ニ)上原区民の、長い間の悲願であった地蔵堂
も、区民四十余年に当り積み立てた浄財により立派に再建され、今日に
至っている。
昭和五十七年四月一九八三)昭和再建五十周年を記念し、御本尊を
開帳し、盛大な大祭が執行された。
平成三年一月(一九九一)境内入口にあった消防機具置場も服去され、
周辺の整備が行われ、石の堂標が建立された。
毎年八月十五日の祭礼の夜は、地蔵堂裏の広場で、大勢の人々が集り、
盆おどりなどが盛大に行われる。
収集日当日の朝8時30分
までに出してください。
※夜間には出さないでください。
上身、自治会・静岡市

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2018-03-28 13:05 (0)
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