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上原鎮守十七夜宮
旧東海道より約百メートル入った、十七夜山千手寺本堂南に有り、何問建てられたかは不明
現在ある最古の記録 慶安四年(卒卵年夏)(西暦一六五一年)三五九年前
祭神 不動韓日 十月十六日
上原鎮守十七夜容は、昔から上原産土神として、土地を守り上原に住む人々のあらゆる難を
取り除き、家庭の幸福を守るとして村人の信仰を集めてきた。
間 出産児の無事成長を祈願しての、お詣りも行われている
鎮守の宮語
一、
初 男 三十二日目 三十三日目
*確初詣 男 百十日目 百二十日目
誕生 生後一年
*七五三詣
その他
*結婚語
再建
・宝暦三年( 酉年)九月十六日(西暦一七五三年)
上原村総氏現在四代 隣堂
明治十四年十月
村落有借了寄帮現住八代 蔡君
*大正十二年十月
上原陽一同、無住
一、昭和二十九年十月十七日
上原瞬一同現住泰備
一、昭和五十八年十月十六日
上原風一同現住廣栄
上原鎮守十七夜宮伝説
昔、上原に大変信仰心のあつい人がいた。ある日、夢の中にお不動様のお姿が現れ
「わたしは浅畑(現在の静岡市葵区麻機)の滝の不動尊である。お前の信仰心のあつい
のに感心した。お前のような者の住む上原はさぞ良い所であろう。是非、上原に参って
大勢の人々の難儀を救ってやりたいと思う。早く浅畑へ来てわたしを上原へつれて来る
ように」とのお告げがあった。不思議な夢を見るものだと思っていたが、それから毎晩
のように同じ夢を見るので、彼は「これはまさしく浅畑の不動様のお告に違いない。
浅畑の人達には申し訳ないが、不動様を上原へお連れ申し上げることにしよう」と決心した。
そこで彼は、わざわざ浅畑まで出掛け、滝の不動尊の扉を押し開き、御神体を取り出して
持ち帰ろうとした。浅畑の人達は、これを見つけて追いかけて来て取り戻そうとした。
彼は「私は不動様のお告げで上原へお連れ申すのだが、皆さんがいけないと言われるならば
お返しする」といって浅畑の人達に渡して帰り出した。浅畑の人達は御神体を受け取ったが、
急に岩のように重くなり動かすことも持ち上げることもできない。浅畑の人達は驚き恐れて、
急いで彼を呼び戻し、仕方なく御神体を彼に渡した。
彼は喜んで御神体を受け取った。彼が持つと途端に毛のように軽くなった。浅畑の人達は
御神体を持ち捧げて、上原へ帰ってゆく彼の後ろ姿を、いつまでも合掌して見送ったの
である。彼は上原に不動様をお迎えすると、庄屋さんとも相談して十七夜山千手寺の
裏手のお堂に、上原村の鎮守としてお祀りした。これが現在の上原鎮守十七夜宮である。
この御神体というのは450ほどの漆黒の古い木であるという。
文化年間(約二百年前)の地誌駿河記に所載
平成二十三年一月吉日建立 上原自治会町作り推進委員会