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ocr-generated 都指定有形文化財(典籍)

kawa_sanpo

2015/11/21

タグ: ocr-generated 東京都 日野市

案内板

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説 法 色


大昌寺開山讃誉牛秀が天正13年(1585年)に著した全10冊の書物で、各冊とも縦26cm、横18.3cmの
和綴本である。浄土宗の宗義をいろは48文字に因んだ48項目に分け説法の形式で詳述したもので、漢
文体で書かれている。
「讃誉牛秀は、立川の領主立川能登守清房の子といわれ、川越達撃手で剥髪、永禄年間(1558~1570
年)に北条氏照の寄進により八王子に大善寺を興した。慶長7年(1602年)、日野に隠棲して大昌寺を
創建し、同10年(1605年)に叙した。
昭和37年(1962年)3月31日指定 日野市教育委員会
Seppōshikiyūshū
(designated as a Cultural Property of Tokyo on Mar.31,1962)
Seppōshikiyūshū is a Buddhist work in 10 volumes, which was written by Sanyo Goshū in
1585, Sanyo Goshū is a Buddhist priest who built the Daishoji Temple in 1602. He is said to be
from Tachikawa, and in the Eiroku Period(1558-1570), built the Daizenji Temple in Hachioji by
the support of Hojo Ujiteru. Afterward, he came to Hino, and died in 1605.
Hino Board of Education
from Tachikawa, and in lucest priest who built the Daisha Yas written by Sanyo Goshū in
まちかど写真館 in ひの
大昌寺山門 昭和20年代後期 志村章氏撮影
大昌寺の山門前は一面の田んぼでした。日野駅のホームから見ても。大昌寺や一小の周りは田んぼに囲まれていました。山門画館の立派な大
ケヤキはその後落雷などにより今は影を消してしまいました。

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2018-03-28 13:03 (0)
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