ocr-generated めてやるよみきから愛してるとき、
中央区
ごほう
午砲のドーン
説明板
明治21(1888)年に号砲会社ができ、現在の須崎公園内にあるお台場で正午に空砲を
打ち、時刻を知らせたところ「音がやかましい」と抗議が殺到。西公園の山頂に移すと、こ
こでも「障子が破ける、物が落ちる」と苦情が出ました。そこで麓に移すど「聞こえん」とま
た苦情。明治23(1890)年、号砲会社の経営困難で「ドン」が中止になると、今度は「寂し
い」と市民から声が上がりました。このためサイレンに変わった昭和6(1930年までの間、
福岡市が午砲を鳴らし続けました。午砲陽跡の石碑は港三丁目の住吉神境内にあります。
「ドン」に使用された大砲(写真提供 福岡市博物館)
このドン”は「ドンガラガンの歌」が流行するほど市民から親しまれました。
歌詞はか「今鳴るトンガラガンはどこから 聞こゆドンガラガン 西のお山の山の業エージージャ
ソジャナイがトンカラカン あっち向いちゃ トンガラガンつち向いちゃドヌガラカ」かです。
あ映区役所 企画課 0229
午砲のドーン |