ocr-generated かい うん ばし
開
運
橋の歴史 Preserversionarise
The History of Kaiun Bridge
开运桥的历史
開運橋的歷史
そら青く
冬をもたらす
らむぷゆかしき
開うんば
せとものの
この短歌は宮沢賢治がニ
代自開運橋の秋に設置さ
れた瀬戸物製のランプを
眺め詠んだものです。
宮沢賢治
初代開運橋 1890年(明治23年)
初代の開運橋は、盛岡駅開業に伴い当時
の岩手県知事石井省一節が中心となり、私
費を投じて長さ 50 (90m)、幅 27 R
(8.3m)の木橋を約 45 日間の短期間で建
設したものです。
当時の橋は有料で通行料1銭を徴収され
たと言われ、完成の翌年に華料となり,そ
の後 1900 年に暴に輸入されました。
※写真出典 盛岡駅前商店街振興組合
二代目 開運橋 1917年(大正6年)
初代の開運橋が洪水のたびに被害を受け通
行が途絶えたことも多かったことから、近代
様式の永久橋(2棲間プラットトラス橋)に
架け替えられました。
橋の長さは82.4m, 縞 は 13m で、本連初
の本格的な鋼橋で注目を集めたとすわれてい
ます。
橋の正面には大きな橋銘板が掲げられ、橋
の狭には瀬戸物製の油妻付きランプが灯され
るなど装飾美が自慢の橋梁でした。
※写真出典 郷土文化研究会発行『図説 盛岡四百年下巻 [II]』
三代目 開運橋 1953年(昭和28年)
現在の開運橋は、急激な文通量の増加によ
る損傷に対応するため、剛性の強い「簡単純
下降式ランガ - トラス+2 後間鉄筋コンク
リートT桁橋」に架け替えられました。橋の
長さは 82.5m、幅 は 18.2(4車線)に広
がりました。
外観はアーチ型で、岩手山と北上川の眺望
に和した条しい味となっています。
平成27年3月撮影
~二度泣き橋~
| 岡運橋は別名「二度泣き橋」とも呼ばれています。盛岡へ転勤してきた人が開運橋を渡りながら、
速く組れた所まで来てしまったと涙を流し、再び命を受けて盛岡を離れる際には、今度は去り館
くて開運橋の秋から岩手山を見上げて涙を流すというものです。
平成 27 年 12月
岩手県盛岡広域振興局土木部
開運橋の歴史 |