ocr-generated 江戸時代の初めごろから
のみ 大正の終わりころまで
大正の終わりごろまで
昔ここに八幡堀という川の流れがあり
ました。尾久村の田畑の水としての大切な役割
りを果たしていたことでしょう。
この流れは、昭和になって埋めたてられ小道に
なりました。流れの土手にあった木も、
今ではこんなに大きくなりました。
「社会科の学習で八幡堀のことを学んだ尾久宮前
小学校の子どもたちは、昔のようすをいろ
いろ想像し、これを絵に描きました。
桜草が生えている。流れに月が浮かんで
いる。浮世絵で見た三河島の鶴もここに飛ん
できたことでしょう。小さな木の橋を通る
お百姓さんやお侍。田植えや刈り入れ。そして
子どもたちの遊び・・・・・・。
道路に並んだ絵タイルは、子どもたちが描いた
作品をもとにしたものです。
平成元年三月 荒川区
荒川区教育委員会