末吉宮跡
国指定史跡 昭和47年5月15日指定
末吉宮磴道
沖縄県指定有形文化財建造物 昭和31年2月20日指定
末吉宮は、かつての 琉球八社 の一つで、俗に「社壇」と呼ばれている。 尚泰久 王代の1456年頃、 天界寺 住持鶴翁和尚が 熊野三社権現 を勧請して奉祀したのにはじまるという。本殿は、三間社流造り本瓦葺きで、前面に向拝を付している。 磴道 は、参道を登りつめたところから祭場までの8段、祭場から拝殿跡までの21段および拝殿跡から本殿までの7段の一連の石造階段部分をいう。本殿と祭場はそれぞれ別の岩盤の上にあり、両間は切石積みの石造単拱橋(アーチ橋)で継いでいる。なお、磴道は昭和46年に修理され、本殿は昭和47年に復元された。
末吉宮の下方には、末吉宮の神宮寺で俗に「末吉の寺」と呼ばれる 遍照寺 (もと 万寿寺 )の跡がある。この寺の山号を大慶山といい、 真言宗 に属し、沖縄における 神仏混淆 の信仰形態を知るうえで重要な資料である。また、社殿の周囲の崖下には点々と拝所が設けられ、信仰の対象となっている。
平成2年3月 沖縄県教育委員会 那覇市教育委員会