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2014/09/20

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林森、康樂公園所在地舊稱三板橋,清代曾於此設置兵舍,日治以後,附近逐漸成為往
生者埋葬之地。1896年,因第三任總督乃木希典母親葬於此地,遂成為日本人專屬墓地,
式劃設為共同墓地。臺灣光復以後,此地又成為自舟山、海南等地轉進來臺軍
民搭屋避雨的棲身處所,原有的公園預定地也陸續出現了一千多戶的違章建物。1997年堂
北市政府進行公園拆遷整建,並將明石總督墓塚改葬於臺北縣三芝鄉基督教墓地,兩座島
居也暫時移至二二八公園安置。
日治時期三板橋墓地原有三座鳥居,90年代時僅剩大、小兩座。大、小鳥居為「神明
鳥居」形式,兩根立柱位於圓形「台石」上,最上方横木為「笠木」,下方則是連通立柱
明石總督一週年紀日記念明信片,圖片內容為明石總督墳墓全景
的「貫」。目前大鳥居已確認附屬於第七任臺灣總督明石元二郎墓塚,由第八任總督田健
及明石總督人像照(照片來源:國家圖書館)
治郎於1920年明石週年忌辰前興建完成。小鳥居遷移前位於康樂公園西側街廓角落,石柱
明石總督島居大)
上落有「昭和10年」(即1935年)題刻,經比對推測應為鐮田正威命奧都城所屬。
明石元二郎出生於1864年,為福岡縣武士明石助九郎次子,陸軍大學校畢業以後,
蓮田正威鳥居小
歷任日本陸軍參謀本部參謀、法俄德三國公使館員、駐韓國憲兵隊長及司令官及統監
府警務總長等職務。1918年6月,正式出任臺灣總督,鎌田正威於其任內任職秘書
官。明石總督在民政長官下村宏的協助下,任內推動司法制度革新、改善教育
體制,餘如行政機構調整、日月潭水利電氣事業、臺灣電力株式會社設立、中部
海線鐵路鋪設、東西橫貫公路開鑿及公設質舖(當鋪)制度實施等政績。1919年10月,
登於任內病逝於日本福岡,得年56歲。死後遵照其遺言回葬於臺北三板橋共同墓
地,為唯一埋葬於臺灣的日本總督。
大、小鳥居深具歷史記憶之文化資產價值,為尊重歷史,保存城市記憶,茲回應地方口三板橋共同墓地及感。
居原址概略位置示意圖
及文化界之建議,將鳥居重新遷回安置於林森公園。
林森、康楽公園の所在地は昔に、「三板橋」と呼ばれていた。清朝時代、ここには兵舎が設置され、日本統治時代
(以下:日治時代)初期からは次第に墓地になってきた。1896年、第三代総督である
たことにより、日本人専用墓地に転じていたが、1900年には正式に共同墓地に定められた。戦後、ここは中国大陸の
舟山、海南などのところからやってきた軍民たちの避難所になり、公園予定地であった場所にも、千何軒の違法住宅
が集まっていた。1997年、台北市政府が公園整理を始め、公園構内の整備のほかに、元来ここにあった明石総督の墓
を台北県三芝郷のキリスト教墓地に改葬させた。二つの鳥居も一時二二八公園に移されたが、2010年10月には再びこ
こに戻された。
日治時代に三板橋墓地には鳥居が三つ存在していたが、90年代の時に大小二つだけが残った。鳥居の形はともに
「神明鳥居」である。二本の立て柱が丸い「亀腹」に置かれ、一番上にある梁は「笠木」であり、下層で立て柱を固
圖為林森公園開建前,林森北路兩旁達
定するのは「貫」と呼ばれる。今日まで、大鳥居は既に、第七代総督である明石元二郎の墓に付くものと確認され、
章建築,圖片右下方為當時林森公園(攝
第八代給督D田健治郎」二公分、1920年)明石給督年忌日前二建了b。LL、小鳥居方丈、柱」二法「昭和10
於民國86年3月1日)
年」(即ち1935年)という刻銘があり、調査の後、鎌田正威の墓に付くものと推測された。
明石元二郎は1864年に、福岡県の武士である明石助九郎の次男として生まれた。陸軍大学校を卒業し、陸軍近衛
師団参謀を経て、フランス、ロシア、ドイツ公使館付武官、韓国憲兵隊司令官、統監府警務総長などの職務を担って
いた。1918年6月、明石氏は第七代台湾総督に就任し、民政長官の下村宏の協力で、司法制度の革新、台湾教育令の
凳布、日月潭水力発電事業確立、台湾電力株式会社設立、中部海岸線鉄道它東西橫貫道路)開設、「公設質舖」
制度の実施などの政策を成し遂げた。当時、鎌田生威は同氏の秘書官であった。1919年10月、同氏は総督の任期内に
福岡で病没したが、その遺言に従い、遺骸はわざわざ台湾に移され、台北の三板橋日本人共同墓地に埋葬された。そ
して、同氏は歴代台湾総督のうち、唯一台湾の土地に葬られた総督になった。
林森(右)、康樂(左)公園現況,中
「大、小鳥居は、市民共同の歴史的な記憶とし、深く文化財の価値があり、重要たる都市歴史文物の保存と、地方
為林森北路。(攝於民國100年3月29日)
や文化界からの声に応え、改めて林森公園内に移転された。

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2018-03-28 16:35 (0)
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