Ryo-no-saka slope
宿舍的坡
寮の坂由来
松高山傳乗寺は、区内における古刹でありその縁起は遠く後伏見天皇の正和5年(1316)と刻まれた板碑の発掘によっても知られるものである。往昔傳乗寺は坂の東側台地に所在し、かつ本堂とならんで僧侶の学寮が建てられていたために、この坂道を土地の人は、寮の坂と呼んでいる。坂上にある民家の屋号が堂の上と通称されていたことを考え合わせると、この坂の名称の由来が思い起こされる。
なお寮の坂 の東側にある雙葉学園を抱く盆地は、室町時代に籠谷戸と呼ばれる入江で、多摩川の水が滔滔と打ち寄せ、時の奥沢城主大平出羽守は上流から運ばれた武器、兵糧の類を籠谷戸、寮の坂 あたりに陸揚げをして城へ運び入れたともいい伝えられている。
さらに時代は下り江戸時代に入ると川崎泉沢寺と奥沢浄真寺の中間軍事拠点として松高山傳乗寺がこれに当り、寮の坂 は軍用道路として兵馬の往来がはげしかったそうである。