ocr-generated 御本丸大奥石碑の由来
この石碑は、マンション建設前にあった岡村邸の庭園に置かれていたものです。
銘文によれば、江戸城大奥の繁栄を願い、弘化4年(1847)8月に造られたものです。
この場所は江戸時代を通じて、武家屋敷として利用されていました。
石碑背面には、造立に関わったと思われる人名が刻まれています。
大奥の関係者と思われますが、ここに屋敷を拝領していた人物とは異なります。
そのため、石碑がなぜここにあるのかは不明です。
後世に庭園を造る際に持ち込まれたものと思われます。
前土地所有者の岡村さんのお話によれば、戦後にここを購入した時には既に石碑はあり、
背面に「岡村」と刻まれていたため、大切にされてきたと言うことです。
西暦 年号
所有者 期間
沿革
1847 | 弘化4年 「江戸幕府 20年「大奥石碑」が造られる
1867 | 明治元年 東京府
21年、大政奉還で東京府となり、旗本屋敷を整理
|1888 | 明治21年 朝鮮国公使館 48年 東京府が吉原重成より取得 ~ 朝鮮総監府
1936|昭和11年」松川長雄 12年、芝区新堀町28 土地所有のみ
1948 昭和23年 共栄株式会社 「56年) 千代田区四番町8番 岡村邸
2004 平成16年|三菱地所株式会社」3年番町パークハウス
大奥石碑保存会 2007年3月