ocr-generated 新設用水道碑の由来
明治三十五年(九00頃より大字茂福地内の耕地整
理事業が行われ、十四川の改修工事に伴い茂福町へ流
れる水路が無くなり、東茂福町の水田に水が入らなく
なりました。
そこで此の神より北に十四州の中間よりや町七百
六十米の増果による水路を通し各家々の敷地内に(マン
ボを設置して、明治三十七年(一九四)八月完成より、
大正・昭和中期まで、生活用水・防火用水として利用
をしていました。
しかし、東茂福の水田地帯に国道一号線の開通に伴
い水田は理め立てられ、その後昭和三十四年(一九五九)
伊勢湾台風の水害により暗渠に土砂が流れ込み、また
水源地の十四川の環境悪化のため、此の用水道は消滅
しました。
富田地区文化財保存会