ocr-generated 萩原代官屋敷・萩原道場跡
しんかげりゅう
んねん り しんりゅう
萩原家は代々旗本杉浦氏の代官職として、この地に屋数
を構えました。旗本杉浦氏は、県下では茅ヶ崎市小和田・安
沼・平塚市四之宮・寒川町宮山・市内では平戸を所領として
いました。
幕末から明治初年の当主太郎行篤は嘉永4年(1851) 直
心影流の免許皆伝を得、ここに道場を開きました。道場には
数多くの剣客が訪れ、萩原家所蔵の「剣客名」には「安政5年)
(1858)8月、天然理心流近藤勇」の名が記され、慶応2年(18)
66) 9月までの入門者の総計が225名に達したといいます。
現在の保土ヶ谷区・戸塚区・鎌倉市から三浦市にかけて、ま
た、平塚市・茅ヶ崎市・寒川町等の広範囲にわたる門弟のた
め、出稽古を行っていました。
明治45年には萩原家敷地内に
「剣道師範萩原君碑」が建立され
ています。
へ然だいえ
(社)横浜国際観光は
横浜市教育委員会文化」
平成3
安政5年の記名
萩原家所蔵