ocr-generated 南割下水
明暦の大火後に、幕府は本所深川の本格的な
開発に乗り出します。まず着手したのは、竪川、
大横川、北十間川、横十間川などの運河と掘割の
開削、さらには両国橋の架橋です。掘割の一つが
南割下水て、雨水を集めて川へ導くために開削された。
ものです。現在の春日通りにあたる北には北割
下水も振られました。
割下水の幅は一間ないし二間(約三・六)足ら
ずで、水も読み、暗く寂しい場所でしたので、
本所七不思議の「津軽屋敷の太鼓」「消えずの行灯」
足洗い屋敷」の舞台にもなりました。
南割下水は昭和初期に埋め立てられましたが、
は手の所
この付近で葛飾北斎
が生まれたところ
から、今では「北斎
通り」と名を変えて
います。この辺り
には、三遊亭円朝や
歌舞伎作者の河竹
黙阿弥も住んでい
上板 江戸切絵図
一モーニャ国語」「FATEWAT)」
ました。