ocr-generated 長崎橋の由来
ここにあった教崎橋は、元禄10年(1697) 当時のを所奉行 鈴木
兵九路、角屋久五郎、あるによって、多田区亀沢四丁目より同錦糸
一丁目に案けられました。
最初は殺さ10間(18.0m)、幅2間半(4.5m)の木橋でしたが、
その後何回となく探け替えられ、昭和4年6月には、銅橋(トラス)
になりました。
この橋は、大横川親水河川整備事業によりその役目を終えて減
しました。
なお、物の名前は、当時あ岡に移した李所長崎町の地多にちな
んても満橋と多けられ、永い間、親しまれたキ務の面影を基り橋&
板を残して、そのサみを記します。
手成3年6月