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2017-11-05

タグ: ocr-generated 神奈川県 相模原市

案内板

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尾崎豊堂生まれ地由来と
記念館建設の経過
「この地は尾崎家代々の屋敷跡である。萼堂尾崎行雄先生は、父正行(八王子散田の峰尾氏より出て
家を嗣ぐ)、母貞子の長男として安政五年十月二十日ここに生まれ、ここの井戸で産湯をつかわれた。
尾崎家の祖先は尾崎掃部守行永といい、天正十八年北條氏滅亡後にこの村に移り、代々名主を勤め
て名望があった。父行正は勤皇の志士として維新の時甲州の浪人を率い、断金隊と唱えて板垣軍に加
わり会津征討に従ったり、専ら国事に奔走された。後に明治政府に仕え、各地の県官吏を歴任された。
先生は幼児、農蚕を営み貧しいくらしの中で、「微笑みながら死ね」という家庭訓のもとに母の手で
育てられた。明治元年母と共に東京に出て高崎、伊勢と移り住まれた。先生は、はじめ平田塾で国学
を学び、再び東京へ出た時慶応義塾で洋学を勉強し、なお工部省工学部でも学ばれた。その頃討藩論
を書き、藩閥打破、自由民権のために尽くすことを志した。
明治十四年参議大隈重信に招かれて会総書記官になり政変で退官、立憲改進党の組織に関係し、
二十年保安条例の災厄にあって追放になり、これを機会に欧米に遊学し多くの名士と交わり立憲政治
の実際を研究し帰朝された。
明治二十三年憲政実施の際三重県より衆議院議員に選出され、以来当選二十五回、在籍六十四年間、
明治・大正・昭和の三代に亘って藩閥官僚と縦横にたたかい、軍部の反動の嵐の中で幾多の辛酸をな
めながら憲政の発達に身魂をささげられた。
戦後、民主政治の再開に当たり、高齢にもかかわらず叡智と気魂の衰えも見せず、日本民族の更生
と世界平和を希求し、各地で熱弁をふるい米国に対しても日本の立場を力説した。衆議院は憲政の歴
史を開拓してきた栄誉を讃えて名誉議員の称号をおくった。
昭和二十九年十月六目、九十七歳の憲政史上に輝く永い生涯を全世界の人々の悲しみのうちに閉じ
られた。日本の歴史の隆盛と苦難の中で生きてこられた全生涯は私たちの敬仰するところである。
さきに新憲法の実施に際して青少年の育成に多大の関心をもたれていた先生は、この屋敷跡を神奈
川県に寄附された。地元では先生の意志にそうための青少年の教育道場を建設し、末永く先生の業績
を讃え後世に残して、生まれ地の遺跡(井戸、墓地、稲荷)を保存し、先生ゆかりの文献、遺品その
他資料を展示する記念館としてゆくことを計画した。
そこで、本郡の有志がはかって尾崎豊堂生まれ地記念事業委員会を組織し、郡内及び全国の篤志家
に呼びかけて浄財を募り、県の財政的援助もあって、昭和二十九年十二月二十五日に記念館の建設の
工を起こし、多くの人の努力と協力によって二年後の昭和三十二年一月二十五日に落成した。敷地総
面積六百六十三坪、記念館の建坪七十七坪九合で、建築用材は殆ど檜材が用いられた。
「ここに、憲政の神、世界の偉人として郷民は先生の風格を深く敬慕し、鑑として、後輩の勉学の
殿堂として永く保存すると共に、この地の由来と記念館建設の経緯を記して永遠に先生を記念するも
のである。
昭和三十二年一月
尾崎堂生まれ地記念事業委員会

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2018-03-27 23:00 (0)
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尾崎咢堂生まれ地由来と記念館建設の経過 尾崎咢堂記念館 神奈川県相模原市緑区又野691

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#<User:0x007f91c6f01568> 尾崎咢堂記念館 神奈川県相模原市緑区又野691

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