Monumento

hanacoco さん

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牛鳴坂 うしなきざか 赤坂から青山 へ抜ける厚木通で、路面が悪く車をひく牛が苦しんだために名づけられた。さいかち 坂ともいう。 ***

富士見坂(ふじみざか) この坂道は、大正末期ごろから行われた耕地整理によって出来た道である。ここからは、富士山がよく見えるので、富士見 と呼ぶようになったといわれている。

明治百年記念 富士見坂 髙田富士見会 ---

禿坂(かむろざか) 江戸時代の延宝七年(一六七九)、辻斬り強盗を重ねていた元鳥取藩士平井(白井)権八が鈴ヶ森刑場で処刑され、権八なじみの遊女小紫はこれを悲しんで自害した。 このとき、帰りの遅い小紫を探しに来たお付きの禿が帰り道で...

禿坂(かむろざか) 名の由来は定かではないが、近吾堂版の『江戸切絵図』(「大久保戸山高田辺之図」)には『里俗カムロ坂』とあり、江戸時代後期には「かむろざか」と呼ばれていたことがうかがえる。

一本松坂 IPPONMATSUZAKA いっぽんまつざか 源経基(みなもとのつねもと)などの伝説をもち、古来、植えつがれている一本松が、 の南側にあるための名である。 ***

藤坂(富士坂・禿坂) 小日向四丁目3と4の間 「藤坂は箪笥町より茗荷谷へ下るの坂なり、藤寺のかたはらなればかくいへり、」(『改撰江戸志』)藤寺とは坂下の曹洞宗伝明寺である。  『東京名所図会』には、寺伝として「慶安三年寅年(...

暗闇坂 KURAYAMIZKA くらやみざか 樹木が暗いほどおい茂った であったという。以前の宮村(町)を通るため宮村坂ともいった。 *** くらやみ坂

暗闇坂 本郷7丁目と弥生2丁目5の間 江戸時代は、加賀屋敷北裏側と片側寺町の間の坂で、樹木の生い茂った薄暗い寂しい坂であったのであろう。 江戸の庶民は、単純明快にこのような坂を暗闇 と名づけた。23区内で同名の坂は12か所ほ...

向陵稲荷坂 KORYOINARI SLOPE

江戸の礎石 このあたりは江戸時代にぎやかな町でした 丸い石は江戸初期の屋敷の礎石 です 地下二米余のところに松杭の上にきれいに並べられていました 角石は江戸末期の土蔵の礎石です 地下約一米のところに松杭の上に松の大木があり...

石取祭  長島三町(萱町・中町・下町)の石取祭は、稲荷社境内秋葉社の石取神事として行われてきました。この祭事は神社の玉垣の敷石を一年に一度新しくするため、町屋川から美しい を拾い採ってきたもので、江戸時代末頃から大祭として行...

夜泣石 旅人が、この のあたりで、誰助けるともなく、倒れておりました。 それ以来、夜中にここを通るとこの石のあたりから、助けを求めるような声が聞こえたと言い伝えられています。 太郎の郷づくり協議会

春日門 この門は2007年に既設の を改修して整備された。門の両側の煉瓦壁は、明治時代の旧前田公爵邸の塀遺構であると思われる。名称は門が面する春日通りに由来する。 *** 東京大学

佐藤三吉(サトウサンキチ) 1857~1943 大垣藩士の三男として生まれる。明治4年に上京、司馬凌海 の塾で学んだ。明治5年に大学南校に入学しドイツ語を学ぶ。翌年校則の変更により東校へ転校し予科生となった。明治15年に...

加賀大聖寺藩 江戸上屋敷址 一里塚 大聖寺藩由来記 寛永十六年(1639)六月二十日加賀藩 三代藩主前田利常(當)公は四十七才の若さで小松に隠居し、嫡子光髙に加賀藩八十万石を、二男利次に富山藩十万石を、三男利治に大聖寺藩...

Erwin von Baelz (エルウィン・フォン・ベルツ) 1849~1913 南ドイツのビーティヒハイムで生れる。チュビンゲン大学 医学部に入学し、ライプチヒ大学医学部を最優秀の成績で卒業した。ライプチヒ大学 病院に...

淡路小学校校歌 御代の春風    吹きわたり 学びの庭に    さく花の うるわしくとも    実らずば そのかいあらじ   実れかし 作詞・細川潤次郎 作曲・岡野貞一

観音坂 この坂を観音坂といいます。『東京名所図会』には”新編江戸志に、観音坂は埃坂の並び、むかし茅浦観音寺やしきありし故になづくなりと見ゆ。此の坂の上観音院と称する仏刹ありしことは寛永の古図を見ても知らるべし。新編江戸志に観音寺とあ...

木造阿弥陀三尊像 目黒区指定有形文化財 彫刻 昭和五十九年三月三十一日 指定  中尊阿弥陀如来像 は来迎印 を結び、左足を垂下した半跏 の姿、観音像 は蓮台 をもち左膝を立て、勢至像 は合掌し右ひざを立てた典型的な来...