Monumento

shijia さん

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  • 2016/05/27 09:00
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五軒町(ごけんちょう)  ど時代、この界隈(かいわい)には、上総久留里(かずさくるり)藩黒田家上屋敷(かみやしき)、下野黒羽(しもつけくろはね)藩大関(おおぜき)家上屋敷、安房勝山(あわかつやま)藩酒井家上屋敷、信濃上田(しなのうえ...

旧町名由来案内 下町まちしるべ 旧浅草雷門  昭和九年(1934)、浅草雷門 はそれまであった浅草材木町、浅草並木町、浅草茶屋町など七カ町が合わさって一丁目ができ、浅草北仲町、浅草馬車町、浅草花川戸、浅草公園地など六カ町が二...

旧 南稲荷町(みなみいなりちょう)  明暦三年(一六五七)の江戸大火後、江戸各地の寺院がこの付近に移転してきた。そして、唯念寺、成願寺、宗源寺、西蓮寺の各門前に町屋が形成された。この頃、唯念寺の門前町屋は、町内に稲荷神社があったので...

旧 南稲荷町(みなみいなりちょう)  明暦三年(一六五七)の江戸大火後、江戸各地の寺院がこの付近に移転してきた。そして、唯念寺、成願寺、宗源寺、西蓮寺の各門前に町屋が形成された。この頃、唯念寺の門前町屋は、町内に稲荷神社があったので...

下町まちしるべ 旧浅草蔵前  本町は昭和九年(1934)、それまであった9ヵ町を整理統合してできた。蔵前という町名が最初に付いたのは、浅草御蔵前片町で元和七年(1621)のことである。幕府の米蔵 があったことから付けられた。...

旧町名由来案内 下町まちしるべ 旧竹町  明治五年(1872)秋田の久保田藩主佐竹邸、伊勢の津藩主藤堂邸、伊予の大洲藩主加藤邸、秋田の矢島藩主生駒邸と周辺の屋敷が合併して竹町はできた。町名の由来は、この地に最も広大な敷地を有し...

下町まちしるべ  旧浅草鳥越二丁目(あさくさとりごえ)  本町名は、鳥越神社にちなんで付けられた。この付近は平安時代後期の頃(一一八五)まで白鳥村とよばれていた。日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国平定のため東征するおり、この地...

旧町名由来案内 下町まちしるべ 旧御徒町(おかちまち)  この付近一帯は、徳川三代将軍家光(一六ニ三~一六五一)のころ徒士(かち)組の屋敷地であった。徒士組とは、徒歩組・歩行衆ともいわれ、徒歩で主君にお供したことにもとづく呼...

旧町名由来案内 下町まちしるべ 旧浅草田島町  江戸時代の頃、この地は高い石垣の本願寺と路を隔てて北にあったことから、北寺町と称されていた。  明暦三年(一六五七)の大火後、神田須田町にあった誓願寺は門前町とともにこの地へ...

下町まちしるべ 旧竜泉寺町 きゅうりゅうせんじまち 本町名は、古刹「竜泉寺」にちなんで付けられた。「竜泉寺」の創建は大変古く、慶長から元和の頃(一五九六~一六二三)にさかのぼる。そのためこの付近一帯は早くから竜泉寺村と呼ばれ...

旧 谷中真島町 やなかまじまちょう 江戸時代末の本町一帯は武家屋敷地 であった。美作国(みまさか)(現在の岡山県)真島藩下屋敷 があったのもこのあたりである。藩主は二万三千石を領する三浦氏で慶応の頃(1865)藩名を勝山藩から真島...

旧 谷中真島町 やなかまじまちょう 江戸時代末の本町一帯は武家屋敷地 であった。美作国(みまさか)(現在の岡山県)真島藩下屋敷 があったのもこのあたりである。藩主は二万三千石を領する三浦氏で慶応の頃(1865)藩名を勝山藩から真島...

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  • 2016/05/19 08:34
  • (272)

有栖川宮記念公園  位置 港区麻布盛岡町広尾町  面積 三五、六〇一・一二平方米  開園 昭和九年十一月一七日  沿革 この地一帯はもと盛岡藩主南部美濃守の下屋敷であったが、明治二九年有栖川宮家の御用地となり大正二年...

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  • 2016/05/18 17:52
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滝沢馬琴住居跡  『南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)』・『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』などを著わした滝沢馬琴 は、江戸時代の劇作家として有名です。彼は、千代田区内に二ヶ所の足跡を残しています。  旗本松平信成...

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  • 2016/05/18 09:52
  • (634)

藤堂和泉守(どうとういずみのかみ)の上屋敷を彩った樹々 江戸時代、このあたりは伊勢国津藩(いせのくにつはん)主、藤堂和泉守(とうどういずみのかみ)の上屋敷でした。 大名屋敷の多くには大小様々な庭園があることから、ここは藤堂家の植...

麻布地区旧町名由来板 麻布広尾町  地名の起源には種々の説があります。もともとは広岡とか平尾とか、広野とかいろいろいわれていますが定かではありません。現在の渋谷区へまたがる低地一帯は広尾原と呼ばれ、江戸時代の初期の頃は荒野で...

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  • 2016/05/17 09:15
  • (1340)

麻布地区旧街名由来板 麻布広尾町  地名の起源には種々の説があります。もともとは広岡とか平尾とか、広野とかいろいろいわれていますが定かではありません。現在の渋谷区へまたがる低地一帯は広尾原と呼ばれ、江戸時代の初期の頃は荒野で...

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  • 2016/05/16 22:43
  • (256)

石垣と武家屋敷 秋葉原UDX は長く大名・旗本の屋敷が続いていた場所でした。図は明暦3(1657)年頃の絵図です。神田川に架かる筋違橋(現在の万世橋)や、そこから延びる御成小路(現在の中央通)、西には神田明神 も描かれてい...

南部坂 なんぶざか 有栖川記念公園 の場所が赤坂からうつってきた盛岡城主南部の屋敷であったために名づけられた。(忠臣蔵の南部坂は赤坂) 平成二十三年三月 港区 -----

神田青果市場跡地 昭和三年(一九二八年)から平成元年(一九八九年)の六十一年の間、ここに日本一の青果市場がありました。現在、市場は大田区東海に移転し、大田市場と名を変えています。 神田青果市場の前身は慶長十七年(一六一二年)に#...